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ジョージ・ガーシュウィンの著作権保護期間はどうなっている?

 9月10日、ジョージ・ガーシュウィンの楽曲の著作権管理が「再開」されるというニュースが飛び込んできました。「なぜこんなことが起こるのか?」、私のクライアントは少々困惑気味でした。自分のコンテンツに利用しているパブリック・ドメイン作品の著作権が”復活”して、後になって「やっぱり、著作権使用料を払ってください。」なんてことになったら大変だと思ってしまったようです。実際、ガーシュウィンの楽曲は2022年1月1日から管理が再開され、それ以降に管理対象である楽曲を利用する場合には、所定の手続きおよび使用料の支払いが必要になるということです。とはいえ、今回のようなことは実に珍しいケースだと言えます。

 ジョージ・ガーシュウィンは1937年7月に38歳という若さでこの世を去りましたが、数多の楽曲を遺しています。中でも『ラプソディ・イン・ブルー』(Rhapsody in Blue)は、ガーシュウィンをよく知らないという若い世代の方であっても、ドラマ「のだめカンタービレ」のエンディングで使われていた曲だと言えばすぐにわかるのではないでしょうか。

さて、今回のニュースを簡単にまとめると以下のような内容になります。

 「1998年5月に著作権の保護期間が終了していたジョージ・ガーシュウィンの楽曲のうち、337曲については作詞家の兄アイラ・ガーシュウィン(1983年8月没)との共同著作物であることが確認され、これら337曲の著作権の保護期間は2053年までとなる。」


 現行著作権法では、著作権の保護期間は「著作物の創作の時」に始まり、「著作者の死後70年を経過するまでの間」と定められています(著作権法第51条)。1937年7月に亡くなったジョージ・ガーシュウィンの場合、その保護期間は2007年7月までと考える方がおられるかもしれません。ところが、ニュースは「1998年5月に保護期間が終了していた」と報じています。どういうことなのか、整理しながら見ていく必要があります。また、どうしてその保護期間が「2053年まで」となるのか、順を追って説明していくことにしましょう。

1)現行著作権法の定める保護期間は、「著作者の死後70年」

 現行著作権法では著作権の保護期間は、著作物の創作の時から著作者の死後70年の間と定められています。ですが、「死後70年」となったのは、2018年12月30日の改正法施行のときです。それまでは「死後50年」と定められていました。

2)2018年改正法施行前の保護期間は、「著作者の死後50年」

 2018年改正法施行時、2018年12月30日の前日において著作権が消滅していない著作物についてのみ保護期間が延長されることになりました。ガーシュウィンの楽曲は、「1998年5月」に保護期間が終了していましたので、当然「70年」の適用を受けることはできませんでした。

 それでもやはり計算が合わないことにお気づきかと思います。「死後50年」であるならば、1937年7月に亡くなったガーシュウィンの楽曲の保護期間は1987年7月ではないのか、そうお考えになるのではないでしょうか。それでも、決してニュースが間違っているわけではありません。「戦時加算」の期間を加えた保護期間の終期が「1998年5月」なのです。

3)「戦時加算」:アメリカの場合は、1941年12月8日~1952年4月28日(3794日)。

「戦時加算」などと耳馴染みのない言葉であろうと思います。これは、「太平洋戦争の間、連合国の著作権は適切に保護されなかったのであるから、戦後においては連合国の著作物の著作権の保護期間は太平洋戦争の期間を加えて計算されるべきである。」という、GHQの政策に基づいて定められた法律によるものです(「連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律」)。

 太平洋戦争は1941年12月8日の真珠湾攻撃に始まり、1945年8月15日の玉音放送によって終戦を迎えたと考える人がほとんどだと思います。ですが、この法律においての「終戦」とは、サンフランシスコ講和条約締結のときです。よって、その期間は3794日(およそ10年5ヶ月)となるのです。(*「終戦」後に著作権が発生した著作物について、「戦時加算」の適用はありません。)

 それでは改めて、1937年7月に「50年」を加え、さらに「3794日」を加算してみましょう。すると、どうやら1998年くらいという計算になりそうです。ですが、細かい計算が得意な方にとっては、それでも納得がいかないでしょう。

(1937年7月+50年)+3794日=1998年1月・・・となるからです。

 保護期間の終期が「1998年5月」となるのは、著作権法第57条が定める計算方法によるためです(注:a)。1937年7月に亡くなったジョージ・ガーシュウィンの著作権保護期間の起算点は、1938年1月1日になります。その50年を経過するときとは、1987 年12月31日です。これに「戦時加算」の3794日を加えるので、保護期間の終期は「1998年5月」となるわけです。

(1938年1月1日+50年)+3794日=1998年5月

4)「共同著作物」の保護期間の起算点

 当初の保護期間が「1998年5月」までであったことがわかったとして、それがなぜ「2053年まで」ということになるのか。このニュースのトリガーは、「ジョージ・ガーシュウィンの楽曲のうち337曲については、作詞家の兄アイラ・ガーシュウィンとの『共同著作物』であったことが確認された」ことです。これまでジョージ・ガーシュウィン単独による創作と考えられていたものが、作詞家の兄アイラ・ガーシュウィンと共同で創作したものということになったわけです。そうなると、「共同著作物」について知る必要がありそうです。

「共同著作物」:二人以上の者が共同して創作した著作物であって、その各人の寄与を分離して個別的に利用することができないものをいう(著作権法第2条第1項第12号)。

 共同著作物の著作者は、何も2人だけとは限りません。3人、4人・・・10人またはそれ以上で創作することだってあるかもしれません。では、こうした著作物の保護期間の起算点はどうなるのでしょうか。著作者の「死後70年」とは、どの著作者の死後のことを言っているのでしょうか。それは、最後に亡くなった著作者のことだと規定されています(注:b)。

 アイラ・ガーシュウィンが亡くなったのは、1983年8月です。保護期間の起算点は、1984年1月1日です。

 1984年1月1日+70年=2053年12月31日


 本来、一度パブリック・ドメインとなった著作権が”復活”するなどというのは、「ご法度」です。ベルヌ条約(第7条または第18条)の規定、かつてのアメリカ特許法に見られた「サブマリン特許」の判例もあります。今回のようなことが安易に認められてしまうと、著作者が亡くなった後になって「あの作品は実は作者の兄弟が一緒に制作していた。」などと証言すれば、その遺族の思惑次第で著作権の保護期間を延ばせることになってしまいます。

 最後となりますが、アイラ・ガーシュウィンの保護期間の終期が「2053年」であることに疑問をお持ちの方がいるのではないでしょうか。つまり、「アイラに『戦時加算』の適用はないのか?」ということです。2007年のCISAC(著作権協会国際連合)年次総会において、「戦時加算」について、その権利行使の凍結を働きかけることが全会一致で採択されました。アイラ・ガーシュウィンの保護期間の計算が、この採択に則って行われるならば、その終期は「2053年」となるでしょう。

(Blau=Baum)


(a)法第57条(抜粋):「著作者の死後七十年又は著作物の公表後七十年若しくは創作後七十年の期間の終期を計算するときは、著作者が死亡した日又は著作物が公表され若しくは創作された日のそれぞれ属する年の翌年から起算する。」

(b)法第51条第2項(抜粋):「著作権は、・・・(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者の死後。・・・)・・・七十年を経過するまでの間、存続する。」


ガーシュウィンの楽曲利用に関して:

トップ画面にJASRACのサイトへのリンクが貼ってあります。 詳細は、そちらからご確認ください。

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